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『翻訳小説』
インドネシアの小説を翻訳。
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2024-11-26 [Tue]
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2008-06-25 [Wed]

 その美しいモデルは着替えと仕事道具が入った鞄を手にとった。腕時計をちらりと見る。すでに夜の11時3分を指していた。大急ぎで更衣室から出るとエレベーターに乗り込み、7階下に向かう。 
 小雨が降っており、濡れないように小走りした。外にある駐車場はすでに人気がない。彼女の車を含めて数台の車があるだけだ。彼女は大きな鞄から車の鍵を探すのに必死だった。冷たい風が骨にしみる。鍵をドアに差し込もうとするのだが手が震えてしまう。
 もう! ついてない。
 鍵が足元にある水溜まりに落ちてしまったのだ。彼女は腰をかがめ、水溜まりの中を探った。だが、鍵は見つからない。駐車場を照らす外灯は鍵を捜す手助けにはならなかった。しまいには、よく見えるように水溜まりのそばにしゃがみこむ。
「お手伝いしましょうか?」
 突然かけられた重くかすれた声に、当然のことながら美しい彼女は驚いた。懐中電灯の光が眩しく、声の主の顔を見分けることできない。
 立ち上がると目を細め、光を避けた。
 「あら、ナルトさん。車のキーが水溜まりに落ちちゃって。捜してるんだけど、見つからないんです……」声の正体が分かると、彼女――エイリーンは言った。
「手伝いますよ」男が答えた。警備員の制服がレインコートの下に隠れてしまっている。
 出し抜けにエイリーンの携帯電話が高い音色を響かせた。鍵を捜してくれるようにナルトに頼み、彼女は電話に出た。
「もしもし、ママ? 何? よく聞こえないわ……」
 彼女は車から離れ、立つ位置を変えた。その間もナルトと呼ばれた男は水溜まりに落ちた鍵を探している。
「まだセントラルTVよ、ママ。駐車場にいるの。え? そうよ、直接ボゴールに行こうと思ってる。ううん、先にラスナには行かないわ。まっすぐボゴール。うん。うん。気をつけるって。じゃね、ママ。バイバイ!」
 ぷつっと電話を切ると車に引き返した。
「はい、鍵です」微笑みを浮かべながら警備員は鍵をさしだした。
「まあ。ありがとう、ナルトさん」
 ナルトは敬礼すると立ち去っていった。
 エイリーンはセントラルロックを解除しようとしたが、水に落としたのが原因なのか故障してしまったようだ。ぶつぶつと口の中で文句を言いながら鍵穴に鍵を差し込む。と、車のアラームが鳴り出してしまった。
 ジリジリジリジリジリジリ!!
 広く静かな駐車場に鳴り響くアラームに彼女は戸惑った。止めかたが分からないのだ。ナルトが助けに戻って来てくれることを期待しながら左右を見渡した。
 期待したとおり。彼女の顔を再び懐中電灯の鋭い光が襲った。エイリーンは懐中電灯を持った人物に微笑みかけた。だが、それはナルトではなかった。筋肉隆々なナルトに比べて、その人物は背が高く、痩せぎすだった。フードのついた厚いジャケットを着こんでいる。彼女は男の正体を見極めようと目を細めた。
 口を開きかけて、彼女は自分に向けられたナイフがきらっと光るのを見た。唇から悲鳴がこぼれ、エイリーンは助けを求めて走り出す。だが、彼女の叫び声を聞いた者は誰もいなかった。
 訳も分からないままむちゃくちゃに走った。夜の闇は濃かった。空には星一つ出ていない。雨だけが静かに降り続けていた。
 テレビ局の裏手にある藪にたどり着くと、エイリーンは男の追跡から逃れるために安全に隠れられる場所を探した。息がきれ、心臓は飛び出しそうになっている。
 後ろを振り返る。男はいなかった。
 彼女は安堵の吐息をついた。今頃、あの不気味な男は車の中を荒らしているのかもしれない。
 テレビ局の建物が隠れているところから見えていた。
 暗闇の中で、エイリーンは兄のダミアンに電話をしようとした。コール音が聞こえてくる。誰も取らない。何度か試すが、やはり誰も取らない。
 突然、彼女は悲鳴をあげた。後ろから羽交い絞めにされたのだ。手ぬぐいで口を塞がれるのと、電話がダミアンに繋がるのと同時だった。男はすばやく携帯を奪うと地面に叩きつけた。エイリーンは力なく倒れた。
「もしもし。もしもし。エイリーン? どうした? もしもし。聞こえないよ。」

 広い部屋に21歳の美しいモデルが椅子にぐったりと腰掛けていた。人気上昇中の彼女は女優として、同時に司会者としても高いギャラを得ていた。
 手足はロープでキツク縛られている。口には猿ぐつわをかまされ、それは首の後ろで結ばれていた。
 何度か瞬きをするが、まぶたが重い。周りが霞んで見える。なんとか開けようとするのだが、目の前がぐるぐる回っていた。彼女は眉をよせ、息をついた。頭が痛い。自分の身に何が起こったのか理解できずにいた。
 有名なバンドの音楽がかすかに聞こえてくる。エイリーンが知っている曲だった。よく知っている曲。
 彼女は目を開けようともう一度努力をしてみた。ルネサンス調の大きな家具が置かれている広い部屋が見えた。大きな窓には深みのある朱色のベルベットでできたカーテンがかけられていた。ほとんど床につきそうになっているカーテンは金色の糸で縫われていた。非常に美しかった。
 床は抽象的な模様の大理石。ピンク色で塗られた壁にはたくさんの半裸の女性の写真と絵が飾られていた。驚いたことに、それらの写真と絵には全てエイリーンが写っていた。
 まだはっきりしない視界で彼女は再び部屋の中をなぞった。大きなテレビが4つ置いてある。1つ目のテレビには人気のあるバンドのビデオクリップが流れていた。エイリーンが出演したビデオクリップだ。さっきから聞こえている曲はこのテレビから流れているものだった。もう1つのテレビには彼女が司会を務めた番組が映しだされていた。残りの2つのテレビには彼女の映画やコマーシャルが。
 エイリーンは一度目を閉じ、ゆっくりと開いた。背が高く、痩せた男の後ろ姿を認めた。
 全身をしっかりと縛っているロープを解こうとエイリーンは手足を動かした。あまりの恐ろしさに涙がぼろぼろとこぼれくることに自分でも気がついていなかった。あの男は誰? なんでここにいるの?
 エイリーンが体を動かしたことで男の注意を引いた。男が振り返る。エイリーンは黙り込み、釘で打たれたように動けなくなった。
 男が近づいてくる。一歩、また一歩と。ブーツの靴底が床にあたり、広い部屋に足音がこだまする。エイリーンの体に震えが走った。
 男は背が高く、髪が肩まで伸びていた。顔は青白く、顎がやつれて尖っている。エイリーンを見つめる目が異様な光を放っていた。鼻と口はメタリックの布で覆っていた。部屋の薄暗い電灯の光がメタリックの布に反射する。くるぶしまで隠れる白いガウンを着込んでいた。手に握られているにナイフがきらりきらりと光っている。
 男が立ち止まる。そして、またゆっくり歩き出した。
 エイリーンは唾を飲みこんだ。男に何をされるか分からなかった。
 素早い動作で、男はエイリーンの口にかませていた手拭を取り去った。エイリーンの口から悲鳴が漏れる。首を切り落とされると思ったからだ。だが、男は怯えるエイリーンをニヤニヤと見下ろすだけだった。
「僕が誰だか分かるかな、かわいこちゃん」低い声で男が問いかけた。
 エイリーンはぞっとした。男の顔から逃れようとした。
 男はエイリーンの椅子の周りをゆっくりと回った。
「僕はね、君に傷つけられたんだ。だから、君にも僕と同じ思いをしてもらわないと」
 エイリーンの体が震えた。男の言葉に驚き、相手が何者なのか思い出そうとした。私が彼を傷つけた?
「わ、私は誰も傷つけたことなんてないわ!」
 エイリーンは噛みつくように言った。涙が頬を湿らせる。体は震え、冷や汗が流れていた。
「あははははははははははは! 君はね、何百、いや、何万人もの男達の気持ちを傷つけたんだ。君が大好きなのに、君を愛撫することができない男達の気持ちをさ。なぁんで、それに気がつかないのかなぁ」
「あんたのことなんて知らないわよ、人でなし! あんただって、私のことをなにも知らないくせに」
 顔は恐怖のために真っ青になり、歯の根が合わずにがちがちと鳴った。だが、この気の狂った男に怖気づくのは嫌だった。
「ええっ! 君の事をよく知らないって? 誰がそんなこと言ったのかなぁ、かわいこちゃん。君のことはなぁんでも知ってるよ。なぁぁぁぁぁぁぁぁんでも。だって、君の活動はちゃんと全部録画してるんだよ。ほぉら、見てよ……」
 男はDVDプレーヤーを再生した。そこには、ハンディカメラで撮影されたエイリーンの日常生活が映っていた。大学での様子、スタジオでの様子、そればかりか部屋の様子までもが。
 エイリーンは驚愕した。
 男はエイリーンの顔にナイフを押しつけた。冷たいナイフの感触を頬に感じ、エイリーンは言葉を失った。またもや涙が滲む。
「怖がんないでよ、かわいこちゃん。僕はねぇ、二人が出会えた記念にちょっとしたプレゼントをあげたいだけなんだ」
「や、やめて……」喉の奥から叫び声がほとばしる。
 その叫び声に聞き惚れながら、男はナイフを手前に引いた。鮮血がエイリーンの手にぽたぽたと落ちた。男は再びエイリーンの顔に傷をつけていく。痛みに我慢できずエイリーンは金切り声をだした。
「いっそのこと殺してよ! な、なんでこんなことするのよ?」
「身にしみて分かるようにさ、かわいこちゃん。君の美しい体を見ることしかできない僕の苦しみはこんなもんじゃない」
 痛みに耐えようとしてエイリーンの口から呻き声がもれた。こぼれた涙が血と混じり余計に沁みる。
「愛してるよ、エイリーン」血に染まった彼女の顎をつっと上に向けて男はささいた。「でもね、同じぐらい君が憎くて仕方がないんだ!」エイリーンの頬を叩き男は続けた。
 泣きながら、エイリーンはほんの少し緩んできているロープを解こうと全力を振り絞った。男が椅子から離れ、一瞬気がそれる。今が絶好のチャンス。
 解けた!
 男は振りむいた。ドアに向かって走り出したエイリーンを追いかける。男は笑い出した。この部屋から、いやこの広い家からは逃げられないと叫びながら。
 エイリーンは頑丈なドアを開けようとしたが無駄だった。ドアは少しも開かない。
 男が近づいてきた時、とっさに傍にあった花瓶を手に取り、投げつけた。花瓶は見事に男の眉間に命中する。
「畜生!」
 男は毒づきながら、部屋の中をぐるぐる走り回るエイリーンを追いかけようとした。足取りがふらふらしてが、そのうちにばたっと倒れ意識を失っていた。
 胸を撫で下ろし、エイリーンはゆっくり男に近づいた。本当に気絶したのか確かめようとしたのだ。爪先立ちで近づき、手に握られたナイフを取り上げようとした――その時だった。男の目が開いたのだ。後ろに跳び退り、エイリーンは逃げようとした。
 遅かった!
 男はエイリーンの足首を掴んだ。エイリーンの顔が床に打ちつけられる。床を這いながら、少しでも男から離れようとしたが、男はますます強く足首を掴んでくる。エイリーンは男の目を力いっぱい殴りつけた。
 当たった!
 男の手からナイフが遠くに飛ぶ。痛みで、男は咆哮した。錯乱状態になっていた。窓を開けようとしているエイリーンの体にしがみつく。
 助けを求めてエイリーンは叫んだ。彼女の叫び声を聞きつける人がいればよかったのに。エイリーンは知らなかったのだ。自分が人里離れた家――城跡に監禁されているということを。周囲に彼女の危険を知ることができる人物などいなかった。
 男はエイリーンの首を絞めた。エイリーンは自分の首の骨が折れる音を聞いた。息がひゅうひゅうと漏れる。それでも、彼女はまだ抵抗しようとした。
 男は初めてマスクを取った。こんなおとこしらない! こんなおとこしらない!
「綺麗だよ、エイリーン。とっても綺麗だ」首から手を離さずに男は言った。
 そして……、美しいモデルは息をひきとった。
「ここで、ずーっと、ずーっと一緒に住もうね」男はささやいた。

 その広い部屋は静かだった。エイリーンの叫び声がこだますることはもうなかった。ビデオクリップからの音楽だけが何度も、何度も繰り返し流れているだけだった。
 男はエイリーンをソファに座らせた。真っ直ぐになるように椅子の背に体を縛り、それから頭も。今、美しい人形は見開かれた空っぽの瞳を前方に向けて座っている。
 男は満足げに微笑んだ。
 コーヒーを入れ、煙草に火をつけると、ソファに深々と腰掛ける。
 そして、テレビのチャンネルを変えた……。

                                          【終】

作 者 Chika Riki
書 名  illuminati (雑誌“CeritaKita”より)
出版社 PT Penerbit Herakles Indonesia
日本語翻訳権 KARINA有
                            
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